ほんにょり。

ほんにょりと暮らしております。
ぼんやりといろいろなことを考えます。
自分という人間は結構壊れてて、人に見せられないような部分もいっぱい持っているのですが
大事な人にそういうのはあまり見せられたものじゃないな、という意識だけはあります。
悪意とか害意とか呪いとか負のエネルギーが他の人に何事か影響を及ぼすならば
善意とか思いやりとかそういう正のエネルギーも遠く離れた人にでも
何事か与えるのじゃないかとも思っています。
遠く離れてしまった人、距離よりも心が離れてしまった人、
どうやってももう二度と逢えない人、いろいろですが
悲しみや憎しみや恨みつらみよりは
ねぎらいとか思慕とかそういったものを届けたいです
いいものだけ、届けようとすると
自分がものすごく善良で清らかなもののように見せたいんかといわれそうですが
そうじゃないです。
自分がどんなに壊れてるか、自分でもようくわかっているので。
どんなに壊れて歪んだもののなかにも
美しいものとか澄んだものへの憧れとか愛情とかは潜んでいるので
そういうのを一生懸命掘り出してきて差し出してる、というのが正解です。
絵を描くとか歌うとかのなかには
自分の中のありとあらゆる感情や情動をぶつけますが
誰かに伝える手段としての絵には
極力そういうものを入れたくはないです。
(だから、へこんだりすると描けなくなってしまうのですが。)
自分がへこんでるときほど
他へのメッセージは明るくていいものが送りたいです
別に、それが私からだとわからなくてもいいから
それを送った人がなんとなく元気になれたり
なんとなく力が湧いたりしてくれたらいいな
弱ってるときほど、そんな風に考えます。