約一ヶ月ぶりです

漸く夏の祭典が終わり
壊れた携帯端末を前に修理か機種変更か悩む私です
本当に、京都帰ってきたら壊れました;
まず、通話が出来ない。
かかってきたのを受けられず、かけてもうまくかからない。
そしてメール。
送るのはほぼ問題なしだが時々つながらない
受け取るのの方が少し受け取りにくい…
Mさんいわく基盤がおかしくなったんだろうと。
夏の祭典を乗り切ってくれた事に感謝しつつ
機種変したのが去年の7月末なのに早いよ;とか思いながら…


夏の祭典はテンパリっぱなしで終了しました
お会いできました方、ブースにて対応させていただいた方、
心より御礼申し上げます
暗算できない子で申し訳ない…<私信>
Eminia7様
お会いできてうれしゅうございました
しかし、今回は栗関係で人がくるかもとか言われていたため
すっかりそう思いこんでいて…;;
出来ましたらもう少し早めに名乗っていてくださればと
あとからブースでのた打ち回るヒグマが一名。
今度お会いできましたときには『ごきげんよう、Eminiaのお兄様』と
お声をかけさせていただきとうございます。<私信終了>
そしてもうすでに冬の祭典に向けての悪巧みが
着々と進んでいます…
なんていうか
体と頭と心が動く内に
できるっだけのことをするのです
ええ。


このブログに何度か書いた事がありますね、こういう言葉。


『お前の抱えている問題は生きている限り解決しない。
逃れたければ死ぬより他はないし
生きていたければあきらめろ』


しかし、私はいつだってそれをあきらめたくないと思っているのです。
それで、また性懲りもなく
うだうだしていた訳ですが
あるとき唐突に
それは言い換えれば
自分が抱えている問題は
生きている内に何か答えが出なくてもよいものだと
そういう風に思えたのですね
生きている内に解決する必要がないのだから
のた打ち回る必要はもうない訳です
じゃあどうするかといえば


生きているうちは生きている間にしか出来ないことを
一生懸命に
死に物狂いで
全力全開で
やっていけばいい
それより他にする事はない
そういうところに辿り着きました


悲しみもさびしさももう良い友達だから
時には寄り添って泣く事もあるだろうけど
少なくとも
打ち壊れてしまえばよかった
滅んでしまえばよかったと
自分を呪うことは当分しなくてすみそうです


生きて最後に辿り着いたところで
自分にはもうその結果を見る事はできないところで
それでも、自分に出来る限りの事が出来ていれば
悔やんだり嘆いたりしなくてすみそうです
其のとき
自分の抱えていた問題は解決しているのでしょうか
それもきっと生きているうちはわからないのでしょう
でもそれでいいのです
後の判断は自分では下せないから
自分のあずかり知らないところで
その判断は下されるべきものだから
自分が消えた後にも残るものがあるならば
後はそいつに任せます


私をいらないと言った人にまで
それが届くかどうかは疑問ですけどね
でもそれでも
私がする事は決まっているし
もう、届かないことで悲しむのも嘆くのもやめにします
いつか
その日が生きている内に来なくても
いつか
でいいです
それが私にはわからなくても
いつか
それが永劫こないとしても
私はかまわない
私は私にできる事をする
それだけですよ