ぽんよりぽんより。

相変わらず、傍らには『寂しい』と『悲しい』が寄り添ってますが
寄り添いあっているとね、暖かいのです…
『寂しい』も『悲しい』も其れまでが嬉しくて楽しくて、幸せだったからだから。
そしたら胸のうちにじんわりと溢れてくるのは「ありがとう」で。
そうすると今この瞬間もやっぱり幸せなのですよ。
ああ、自分って言うやつは幸せな人間だな
きっとこの人生が終わるまで幸せなやつだな
誰も、ほんとうに自分を不幸にしたりはできないな。
だって、自分が幸せだって言うことをよくしっているもの。


昔、いじめられっこだった頃
『誰がおまえらのせいで不幸だなんていうもんか』と
どちらかといえば攻撃的にそう思っていたときよりもずっと自然に
もっと、穏やかにそう思えます。
でもあの時、ほんとうに憎くてならなかったのは
いじめた人、ではなく
其れをみているのに自分は知らん、いじめられる方が悪い、そんな暗い性格だから
友達もできないし、いじめられるんだと
遠巻きにそんなことばかり言う大人でした。


どうしても尊敬できない人って言うのは、つまりこういう人です。
たとえ先生であったって
品性下劣な人など私は尊敬したくありません。
誰かを貶めないと自分を保っていられない人の矜持等知ったことではありません
十二国記にもありましたね、こういうの。


だから、私はだいすきなひとたちを尊敬しています。
自分にはない素敵なところを一杯持ってる人たちだから。
私は、がんばっても、そんな人間にはなれないけど
(上に書いた見たいな事を思ってて書いちゃうような人間です。未熟者です。)
せめて、尊敬するあなた方に恥ずかしくない人間になりたい。
自分の中は混沌とした暗闇のようだけれど
それでもだいすきなひとを星のように頭上に掲げて
そうすれば私は
仰ぎ見て、顔をあげて
進んでいけます


だから、やっぱり
ありがとう
こんなつぎはぎだらけのガラクタみたいな私でも
歩いていけるのは
あなたが、あなたがたがいてくれるから。


もう逢えなくても、話せなくても
嫌われてしまっていても
ずっと、ずっとだいすきで、尊敬しています。
だから、どうかお元気で、おしあわせで!


こんな取り留めないことを考えながら、
ぽんよりぽんより暮らしています。
いつかどうにかして
伝えたい気持を形にして
たとえ、伝えたい人には届かなくても
ほかの誰かが拾い上げて
それが誰かの指先をほんのり暖めるなら
それでもいいな


だからやっぱり、描いていかなくちゃ
それが私にできること。