今日のプリキュア

『愛は命を秤とする。』
愛はしばしば命を秤とする。
其の試練の前に消えてゆく愛も有れば、
愛を貫くが故に失われる命も有る。
しかし愛を失った人生には其れ以前の輝きは最早望めない。

てなことが、昔某百科事典に書かれていたとですよ。
今日は其れをふと思い出したとです。
キリヤ君が初めて知った其れを愛と呼ぶかどうかは別として
(人間らしい情動、心、何と呼ぼう?)
其れを知る前には最早戻れはしなかったのですね。
ドツクゾーンのあの人たちの個我は虹の園の人間の其れより
弱いと思います。
むしろ、ジャアクキングに象徴される闇の群魂(グループソウル)の影響が
ドツクゾーンでは強すぎて、
その中では、『これ以降、もっと強い個我を獲得できるかもしれない個体』
では有ると思うのですが。
対して、ほのかやなぎさは強烈な個我を持っています。
なぎさは言うに及ばず、
ほのかも、ただ大人しいばかりの娘さんではないのは周知の事実です。
(むしろ、頑固さではなぎさよりほのかのが上でしょう)
キリヤ君は、虹の園で、強烈な個我を持つ人間と触れ合う事で、
次第に自身の個我を強くしていきました。
(ポイ子さんの攻撃からプリキュアを救うことが出来るほどに)
でも、闇の群魂の支配から(闇の運命と言い換えても良い)
自身を断ち切れるほどには無かったのでしょう。

もう一つ。
「自分自身を守るため」に戦う者と
「時には自分自身を捨てても何かを守るため」と戦う者でありました。
矛盾なのですが、時に自分を捨てる覚悟がある者の方が
強く在れるのも事実です。(危険ですけどね?)
聖杯の4のカードと言えば解かる人も居られるでしょうか…
信じる物、愛する者、崇拝する女神、忠誠を誓った主…
いろいろですが、
キリヤ君の場合、ジャアクキングを盲信しているわけでもなく、
自分の存在を握られていると言うことで
やらなければやられるという切羽詰った状態であった訳ですが、
彼にしてみればたとえここでプリキュアを倒せたとしても、
最早以前の自分には戻れず、
喪ったものの重みを抱いていくより他に無かっただろうと思われます。
対してプリキュアふたりには、ミポメポや、
自分の家族、かけがえの無い友達(その中にキリヤ自身も含まれる!)
何よりお互いという、守りたい、守るべきものがある戦いで、
結果はおのずと解かろうものです。
自分を捨てても守ると言うのは、初めに書いた『愛』の秤であり、
要求された命を差し出しつつ、その戦いに打ち勝ったものにのみ
『愛』の福音が与えられる訳です。(くれぐれも言いますが、危険ですよ?)

最後に、自らを闇に沈めて行ったキリヤ君ですが、
あれこそまさしく「命を秤に愛を得る」行為であり、
あの最後の微笑みと、固く決意した横顔が彼の覚悟を象徴していた様に思います。
そして困惑するイルクーボ
イルクーボの内面はまだ良くわかりませんが、其れはおいおい…かな?

あー、ちょっとこねくりすぎですね。反省。
次週のほのかが気になります。
とりあえず今はここまで。