(無題)

自分が打たれ弱くて、拒絶や否定にやたらびくびくする一つの原因。
あのね。
どんなに明るくて、友達も沢山いる子の中にも、
どろどろとしたものはちゃんと有って。
無邪気で可愛い子は
自分がいかに残酷かを知らないの。
毎日毎日『死ね』とか『どっかいけ』とか『こっちくんな』とか
初めから拒絶されるのもきついんだけどね。
同じようにいじめられてる同士でもね。
気づいたら、より弱い方をいじめてたりね。
人前ではお友達にしてあげるよーとか言っててね。
裏では使いっぱか揶揄うのにちょうどいい玩具みたいにしか扱われて無くてね。
そんなんで
どうして
他の人の心や命まで大事だと思えるのか教えて欲しい。

だって
じぶんのこころやいのちでさえ
ゴミみたいにしか扱われないのに?
どうやって?
いっそこころなんかなければいいとなんどおもったかわからない。
そうすればいたくないのに。かなしくないのに。くるしくもないのに。

「おまえらにおれのきもちがわかってたまるか」
うん、わからない。
だって、あなたも、わたしがどれだけかなしかったかわからないでしょう?
いつもいつもいわれてたことば。
わたし、とてもいたかったよ。

結局、自分が自分のままでいて、ごく普通に扱ってくれる人にあって漸く。
私は人間らしい気持ちになりました。
そうして、私を拒絶しなければ、自分の平静が守れなかった人達の事も
なんとなく解かるようになりました。
自分に理解できない人間に対して余裕が持てるようになるには
ちょっと時間がかかります。
まして、子供なら。
自分自身に自信が無くて、世界がとても大きくて心細くて。
先生や親や周りの大人たちから
『この輪からはみ出さないように』とくくりを入れられて。
いい子でいなくちゃならなかった『あの場所』の子供達。
ごめんね、こわかったんだよね。
全力で否定しなかったら、自分の心が守れなかったんだよね。
しょうがないよね。どうしようもなく弱かったんだから。

それでも時々思い出したように痛みはします。
有ったことは決して無くならないから。
ちょっと思いもよらない方向からぼろって崩れてきちゃったり。
あかん、あかん。
修行が足りひんでえ〜。(有野口調でプリーズ)